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企業家氏名 |
生没年 |
出身地
(生誕地) |
創 業 者 |
創
業 家 一 族 |
雇
用 経 営 者 |
主な関係企業
(業種) |
専 業 型 |
多 業 種 型 |
財 界 リ h ダ 型 |
最終学歴 |
特記事項(主な事績) |
1 |
新井正明 |
1912〜2003 |
群馬県 |
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〇 |
住友生命保険相互会社 |
〇 |
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東京帝国大学 |
戦時中召集されノモンハン事件(1939年)で片足を失うという悲運に遭遇したが、戦後住友生命に復帰した。安岡正篤氏の教えを糧に積極的経営を推進し、住友生命の大躍進に貢献、同社「中興の祖」と呼ばれた。生命保険協会会長、松下政経塾理事長、関西経済同友会代表幹事を歴任。
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2 |
安藤百福 |
1910〜2007 |
台湾 |
〇 |
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日清食品ホールディングス株式会社 |
〇 |
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立命館大学
専門部経済
学科(二部) |
世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を開発、その13年後には世界初のカップ麺「カップヌードル」を生み出したパイオニア。業界発展のため日本即席食品工業組合を設立。特許や実用新案などの知的財産権を積極的に公開した。
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3 |
井植 敏 |
1932〜 |
東京都 |
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〇 |
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三洋電機株式会社 |
〇 |
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〇 |
同志社大学
工学部電気
学科 |
父は、「関西家電御三家」の1社であった三洋電機創業者・井植歳男氏。大阪商工会議所副会頭、関西ニュービジネス協議会会長、大阪府国際交流財団会長等を歴任。
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4 |
家城福一 |
1911〜2004 |
富山県 |
〇 |
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株式会社日阪製作所 |
〇 |
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― |
日立製作所から、日阪製作所の前身である三石工業鰍ノ移り、その後、日阪製作所に商号変更。産業機械製造業へと発展させた同社創業者の一人。
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5 |
石橋信夫 |
1921〜2003 |
奈良県 |
〇 |
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大和ハウス工業 株式会社 |
〇 |
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奈良県立吉野
林業高等学校 |
プレバブ住宅開発の先駆者。住宅販売から大規模団地開発に進出。銀行との提携による「住宅ローン」を業界初導入した。
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6 |
稲盛和夫 |
1932〜2022 |
鹿児島県 |
〇 |
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京セラ株式会社 |
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〇 |
〇 |
鹿児島大学
工学部 |
京都セラミツク(株)(現・京セラ)を設立。第二電電((DDI、後にKDDや日本移動通信と合併して今日のKDDI)も設立。破綻した日本航空会長に就任、再建を果たす。京都商工会議所会頭、関西経済連合会副会長を歴任。財団法人稲盛財団を設立、理事長に就任し、「京都賞」を創設。
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7 |
伊部恭之助 |
1908〜2001 |
東京都 |
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〇 |
株式会社住友銀行 (現・三井住友銀行) |
〇 |
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東京帝国大学
経済学部 |
頭取就任中は、磯田一郎副頭取と共に経営危機に陥った安宅産業を伊藤忠商事に救済合併させたり、マツダやアサヒビールの再建に取り組んだ。全国銀行協会連合会副会長、関西経済同友会代表幹事、財政制度審議会委員等を歴任。 |
8 |
岩谷直治 |
1903〜2005 |
島根県 |
〇 |
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岩谷産業株式会社 |
〇 |
〇 |
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島根県立大田
農学校 |
プロパンガス市場を開拓し、ライフラインとして生活インフラを構築した「プロパンガスの父」。さらに、理想的な循環型エネルギーである水素エネルギーに着目し、事業化を進めた。 |
9 |
鬼塚喜八郎 |
1918〜2007 |
鳥取県 |
〇 |
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株式会社アシックス |
〇 |
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鳥取一中 (現・鳥取県立鳥取
西高等学校) |
オニツカタイガーをはじめ競技用スポーツ専門シューズの開発者。1983年世界スポーツ用品工業連盟の会長に就任。 |
10 |
葛西健蔵 |
1926〜2017 |
大阪府 |
〇 |
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アップリカ葛西 株式会社 |
〇 |
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摂南高等工業
専門学校 (現・大阪工業大学)中退 |
ベビーカーを中心とした育児用品メーカーを創業。2008年米国大手日用品メーカーのニューウェル・ラバーメイド社に全事業を譲渡。2020年1月商号をニューウェルブランズ・ジャパン合同会社へ変更。 |
11 |
亀井正夫 |
1916〜2002 |
兵庫県 |
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〇 |
住友電気工業株式会社 |
〇 |
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〇 |
東京帝国大学
法学部 |
1981年〜83年まで第二次臨時行政調査会第3部会長として地方行政組織や許認可、補助金問題等に取り組む。その後、臨時行政調査会の土光敏夫会長から国鉄再建監理委員会の委員長を頼まれ、当時累積債務37兆円に達していた国鉄の分割民営化に尽力した。社会経済生産性本部会長、日本生産性本部会長を務めた。
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12 |
黒田ワ之助 |
1916〜2009 |
大阪府 |
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〇 |
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コクヨ株式会社 |
〇 |
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慶応義塾
高等部 |
スチール製品業界に参入しオフィス家具分野へ進出。「帳簿の老舗」から「最も先進的な総合オフィスメーカー」へとイメージを一新した。
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13 |
佐々木正 |
1915〜2018 |
島根県 |
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〇 |
シャープ株式会社 |
〇 |
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京都帝国大学 |
「ロケット・ササキ」の異名を持つ工学博士。1979年シャープに自動翻訳機を売り込んできた孫正義に資金1億円を与えたり、1980年代にはスティーブ・ジョブスにネットワーク基盤の携帯型IT機器の時代が来ると進言、後のiPhone開発につながった。
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14 |
鈴木謙一 |
1926〜2004 |
兵庫県 |
― |
― |
― |
株式会社 日本経済新聞社 |
― |
― |
― |
東京大学
経済学部 |
※鈴木謙一氏は日本経済新聞社論説副主幹(創業者・経営者ではない)。
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15 |
中内功 |
1922〜2005 |
大阪府 |
〇 |
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株式会社ダイエー |
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〇 |
〇 |
兵庫県立神戸
高等商業学校 (現・兵庫県立大学) |
日本におけるスーパーマーケット事業の先駆者であり流通革命の旗手。日本チェーンストア協会初代会長、流通業界初の経団連副会長に就任し、流通業の近代化を推進。学校法人中内学園( 流通科学大学)を設立し、学園長・理事長を務め、人材育成に取り組んだ。 |
16 |
中邨秀雄 |
1932〜2015 |
大阪府 |
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〇 |
吉本興業株式会社 |
〇 |
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関西学院大学
文学部 |
うめだ花月劇場開館、吉本新喜劇の立ち上げに尽力。所属タレントを積極的にテレビに出演させる戦略が実を結び、「お笑いの吉本」の地位を不動にした。
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17 |
西村貞一 |
1945〜 |
大阪府 |
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〇 |
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株式会社サクラクレパスホールディングス
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〇 |
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〇 |
慶応義塾大学 |
クレパス、絵具などに加えてサインペン、ボールペンなどの事務用品にも進出。また欧米、中国への海外進出を果たすとともにアートサロンやミュージアムなど文化事業にも力を注いだ。大阪工業会副会長、大阪商工会議所副会頭を歴任。
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18 |
能村龍太郎 |
1922〜2006 |
大阪府 |
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〇 |
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太陽工業株式会社 |
〇 |
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〇 |
市岡中学校 (現・大阪府立市 岡高等学校) |
1970年大阪万博アメリカ館パビリオン、東京ドーム、関西国際空港の屋根膜等を施工するなど大型膜面構造物(テント構造物)開発の先駆者。1995年大阪文化賞を受賞。大阪財界での存在感を示した。 |
19 |
細川益男 |
1924〜2010 |
大阪府 |
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〇 |
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ホソカワミクロン 株式会社 |
〇 |
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京都帝国大学
工学部 |
1951年株式会社細川鉄工所(現ホソカワミクロン)に入社、同社を紛体技術分野のリーディングカンパニーに育て上げた。
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20 |
松下正治 |
1912〜2012 |
東京都 |
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〇 |
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松下電器産業株式会社 |
〇 |
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東京帝国大学 |
1940年4月 松下幸之助の娘・幸子と結婚し松下電器産業(現・パナソニック)に入社。
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21 |
村井勉 |
1918〜2008 |
福岡県 |
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〇 |
株式会社住友銀行 (現・三井住友銀行) |
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〇 |
〇 |
東京商科大学 (現・一橋大学) |
経営不振に陥ったマツダ、アサヒビール、分割民営化後のJR西日本の経営改革を断行し再建した。
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22 |
和田亮介 |
1931〜2021 |
島根県 |
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〇 |
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和田哲株式会社 (現・WATEX) |
〇 |
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島根大学
文理学部 |
老舗寝具問屋の経営者。船場商人の世界を描いた軽妙なエッセーで知られた。著書に「扇子商法」「三代目まんだら」「船場の目」など。
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23 |
小嶋淳司 |
1935〜 |
和歌山県 |
〇 |
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がんこフードサービス 株式会社 |
〇 |
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〇 |
同志社大学
経済学部 |
大阪・十三で開業した4坪半の「がんこ寿司」を外食産業チェーンに育て上げた。大阪商工会議所副会頭、日本フードサービス協会会長、関西経済同友会代表幹事を歴任。
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24 |
小川洋史 |
1939〜 |
愛知県 |
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〇 |
株式会社フジキン |
〇 |
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滋賀県立瀬田
工業高校 |
ロケットや半導体製造装置向けの超精密バルブを開発。兄の故・小川修平氏と同社をバルブ大手に育てた。
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25 |
利倉晄一 |
1929〜 |
兵庫県 |
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〇 |
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利昌工業株式会社 |
〇 |
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関西学院大学
経済学部 |
父から事業を継いだ2代目経営者。電子材料・電気絶縁材料・工業用材料などの製造販売業。ニッチトップ戦略で社業の拡大を推進し、グローバルで2商品、国内で5商品がシェアトップとなる。
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