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五代 友厚(1836〜1885) |
明治維新期の大阪経済再生と近代化をリード
・ 維新の混乱で疲弊する大阪の商工業発展に自ら身を投じ、数多くの事業を起こす
・ 有力財界人と協力して基幹産業群を設立する
・ 信用秩序の回復と大阪経済再生の枠組みをつくる |
【主な関連企業】大阪商工会議所 株式会社商船三井 株式会社大阪証券取引所 他 |
【出身地】鹿児島県 |
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松本 重太郎(1844〜1913) |
銀行を基盤に基幹企業群の設立・再建に手腕を発揮
・ 第百三十国立銀行を機関銀行にして、多くの企業を創設する
・ 新しい金融手法を考案し、企業の再建に辣腕ふるう
・ 企業間紛争の仲裁に力を発揮、明治中期の大阪経済界のリーダー役を果たす |
【主な関連企業】みずほファイナンシャルグループ 南海電気鉄道株式会社 東洋紡株式会社 他 |
【出身地】京都府 |
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藤田 伝三郎(1841〜1912) |
新産業の育成や地域開発事業を多角的に展開
・ 富国強兵・殖産興業をめざして実業界に入る
・ 新産業創出の一翼を担う
・ 地域開発・国土の造成など公益事業に力を尽くす |
【主な関連企業】DOWAホールディングス株式会社 藤田観光株式会社 東洋紡株式会社 南海電気鉄道株式会社 大阪商工会議所 他 |
【出身地】山口県 |
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広瀬 宰平(1828〜1914) |
別子銅山近代化と新産業育成・事業多角化を果たした「住友中興の祖」
・ 明治維新の動乱の中、「別子銅山」守り抜く
・ 別子銅山の近代化を果たし、わが国鉱山のモデルとして外貨獲得に貢献する
・ 住友の事業多角化と殖産興業に取り組む |
【主な関連企業】住友グループ 株式会社商船三井 大阪商工会議所 他 |
【出身地】滋賀県 |
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中橋 徳五郎(1861〜1934) |
産業支える海運の革新と人材の育成・輩出
・ 「貨主客従」の方針と外国航路の開拓で海運を革新する
・ 「人材の苗床」大阪商船グループを形成する
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【主な関連企業】株式会社商船三井 関西電力株式会社 他 |
【出身地】石川県 |
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山邊 丈夫(1851〜1920) |
近代的な紡績技術を導入し、わが国の繊維産業を開花
・ 技術者としてわが国初の民間資本による紡績会社を創設する
・「大阪紡績」の成功により次々と紡績会社が設立、わが国紡績業の飛躍もたらす
・ 紡績業界のリーダーとして業界の発展を導く |
【主な関連企業】東洋紡株式会社 |
【出身地】島根県 |
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菊池 恭三(1859〜1942) |
紡績技術と経営革新で紡績業飛躍の基礎つくる
・ 3つの紡績会社の技術責任者を兼務し、紡績業を育成する
・ 細糸紡出の新技術を編み出し、輸入品を駆逐
・ 技術者から社長に登りつめ、紡績のさらなる発展を導く |
【主な関連企業】ユニチカ株式会社 株式会社三菱東京UFJ銀行 |
【出身地】愛媛県 |
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武藤 山治(1867〜1934) |
ヒューマニズムと科学的合理性の労務管理を実践
・人道的な労務管理の実践
・科学的操業法の導入
・精神的操業法の導入 |
【主な関連企業】カネボウ株式会社 |
【出身地】岐阜県 |
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稲畑 勝太郎(1862〜1949) |
繊維産業の発展支えた染色技術導入と開発
・染色の最先端技術をフランスで学ぶ
・紡織と染色を事業化し、優れた染色繊維を生産する
・合成染料を国産化 |
【主な関連企業】稲畑産業株式会社 |
【出身地】京都府 |
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大原 孫三郎(1880〜1943) |
紡績を核に化学繊維などの多角化と労働理想主義の実践
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【主な関連企業】倉敷紡績株式会社 株式会社クラレ |
【出身地】岡山県 |
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大原 總一郎(1909〜1968) |
合成繊維ビニロンと人工皮革の製造で化学工業へ進出
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【主な関連企業】倉敷紡績株式会社 株式会社クラレ |
【出身地】岡山県 |
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津田 信吾(1881〜1948) |
デザイン、マーケティングに注目、非繊維部門で多角化推進
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【主な関連企業】カネボウ株式会社 |
【出身地】愛知県 |
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樫山 純三(1901〜1986) |
「既製服」の製造・販売の革新でアパレル産業を開花
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【主な関連企業】株式会社オンワード樫山 |
【出身地】長野県 |
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石本 他家男(1909〜1988) |
ワンポイントマークでスポーツファッションを広める
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【主な関連企業】株式会社デサント |
【出身地】石川県 |
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伊藤 忠兵衛[初代](1842〜1903)※写真上
伊藤 忠兵衛[2代](1886〜1973)※写真下 |
繊維卸から、近代総合商社への道拓く
・「糸へんの街・大阪」の創出に貢献する(初代)
・今日の「総合商社」の原点となる新たな取引形態見出す(2代)
・日本の経済を担う「総合商社」の基盤を築く(2代) |
【主な関連企業】伊藤忠商事株式会社 丸紅株式会社 |
【出身地】滋賀県 |
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岩井勝次郎(1863〜1935) |
海外直接取引に先鞭、重化学工業国産化に力を注ぐ
・初めて日本人へのトラスト・レシート(輸入信用貸し)を認めさせる
・海外の取引先を拡大し、鉄鋼商社としての地位を確立する
・輸入品の国産化をめざし、工業化のオーガナイザーとして活躍 |
【主な関連企業】双日株式会社 |
【出身地】京都府 |
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安宅 弥吉(1873〜1949) |
国内産業発展を流通過程から支える
・外商の駆逐と商権の奪還を企図し、貿易業に身を投じる
・わが国の重化学工業化を流通過程から支える
・先見性と堅実性が生んだ「蛙跳び主義」で業容拡大 |
【出身地】石川県 |
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野村 徳七[2代](1878〜1945) |
近代証券業を確立し、「証券」の大衆化に尽くす
・前近代的な両替商を捨て、調査・分析による株式売買に挑戦
・近代的証券業者として直接金融による産業資金の供給を図る
・「投資家の開拓と、証券の民主化に役立つなら全財産を投げ出しても良い」 |
【主な関連企業】野村證券株式会社 株式会社りそな銀行 株式会社コスモ証券 |
【出身地】大阪府 |
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弘世 助三郎(1843〜1913)※写真上
片岡 直温(1859〜1934)※写真下 |
わが国生命保険制度の基盤をつくる
・関西経済界をまとめあげ、共同・均等出資型の生命保険会社を設立する
・日本における初の保険料表を完成し、契約者への利益配当を導入
・資産運用を通して長期安定の産業資金を供給 |
【主な関連企業】日本生命保険相互会社 |
【出身地】 弘世 助三郎:滋賀県 片岡 直温:高知県 |
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岩下 清周(1857〜1928) |
ベンチャーキャピタリストの草分けとして多くの産業、企業家を育成
・「工業立国論」を理念に、積極的に新規事業に融資する
・担保に依存せず、人を見て融資する
・旧来の慣行にとらわれず社債引受業務などを兼営し、産業育成に努める |
【主な関連企業】株式会社三菱東京UFJ銀行 近畿日本鉄道株式会社 阪急電鉄株式会社 |
【出身地】長野県 |
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小山 健三(1853〜1923) |
高いモラルで近代的商業銀行を確立
・ 機関銀行を批判し、堅実な商業銀行主義を標榜する
・産業構造転換に対応した新たな金融サービスを提供し、産業の育成に貢献する |
【主な関連企業】株式会社三菱東京UFJ銀行 |
【出身地】埼玉県 |
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藤本 清兵衛(1870〜1949) |
ビルブローカー業務の草分け、企業の資金調達に貢献
・ビルブローカーという金融の新分野を開拓する
・当時としては画期的な従業員への自社株分譲を行い社員の士気を高める
・大口資金需要家への仲介業務にも進出する |
【主な関連企業】株式会社大和証券グループ本社 |
【出身地】和歌山県 |
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堀田 庄三(1899〜1990) |
成長企業の発掘・育成に手腕を発揮し、大型合併で産業再編をリード
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【主な関連企業】株式会社三井住友銀行 |
【出身地】愛知県 |
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渡邊 忠雄(1898〜) |
「ピープルズバンク」をスローガンに銀行の大衆化を推進
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【主な関連企業】株式会社三菱東京UFJ銀行 |
【出身地】北海道 |
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寺尾 威夫(1905〜1974) |
「自主独往」を貫き、信託併営を堅持する
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【主な関連企業】株式会社りそな銀行 |
【出身地】奈良県 |
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